「30歳だったら日本で仕事する」
日経新聞10月の「私の履歴書」は
KKR共同創業者のヘンリー・クレビス氏。
クレビス氏は、
企業買収ファンドの仕組みを1970~80年代に創り、発展。
その後、業績が低迷する多くの企業を再生させてきた。
外国人として日本を見てきた。
彼の言葉を拾ってみた。
日本で成果を上げるには、
とてつもない忍耐と長期的な視点が欠かせない。
最初の買収まで10年待てないなら
行かない方がましだと腹をくくった。
日本企業の風土は
「We can’t(できない)だった。
我々は「We can(できる)」だ。
日本企業のトップから
「変わりたくない」という雰囲気が伝わった。
私が日本のCEOに「子会社は何社ありますか?」、
「そのうち中核子会社は何社ですか?」と聞いた。
CEOは「2000社。すべてが中核だ」と答えた。
とても無理だ。
企業の手に余る子会社は我々のような会社が
買収して成長のために投資すれば、
グローバルに戦える企業になれるはず。
日本の人口は減りつつあり、
経済は縮んでいく。
企業は資本もアイデアも
外部から取り入れるべきは明らか。
だが文化的な理由から
多くの企業幹部は変化に抵抗し、
尻込みしていた。
大手銀行の幹部100人を集めた場で講演し、
檀上からの景色に驚いた。
性別や国籍の多様性がなかった。
「国際的ではありませんね」。
銀行の会長は「気づきませんでした」。
若手が活躍する場も限られている。
日本企業との会議で多くの若手は
無言でメモをとっている。
KKRの会議では若手から意見を述べる。
多くの面で、若手は企業を一番知っている。
若手が先輩に遠慮して
言いたいことが言えないのはやや危険だ。
それでも日本企業は変わった。
女性や外国人の登用も徐々に増えた。
若い起業家と会食するが、
変化に対する意欲は明らかに高まってきた。
今30歳だったら日本で仕事をする。
私は常々
外国から日本を見ることを意識している。
ようやく日本が真の意味で面白くなってきた。