ランチェスター戦略の歴史

img_20161116_0003 本ページは、師の竹田陽一氏が書かれた冊子「ランチェスター戦略の記事を書いた人達」を基に書いています。

 

 

 

 

【1.ランチェスター法則は1914年10日2日書かれた】ランチェスター氏は1914年7月28日、第1次世界 大戦が勃発したことに刺激を受け、飛行機の将来性や地上の戦闘における力関係などを考察し、これをイギリスの技術雑誌に1914年9月~12月の4ヶ月にわたって連載しました。ランチェスター法則に関する記事は、10月2日と10月9日の日付で2回にわたって書かれており、法則を考えついたヒントは「ピタゴラスの定理」にあったようです。

【2.日本には英文の原書が200冊以上輸入された】日本でランチェスター法則が最初に紹介されたのは、1916年です。英文の原書で推定200冊以上輸入されていると思われます。旧日本軍の中にもこの本を読んだ人が何人もあり、山本五十六元帥もその中の1人。海軍ではランチェスター法則を「N2乗法則」と呼んでいました。

【3.1955年(昭和30年)9月に再発見】第2次世界大戦が始まる前、アメリカの国防省は日本とドイツとの戦いは避けられないと判断。数学者、物理学者、生物学者などその道の専門家を何人も集め、5人~6人で1つのチームを作り、どうすれば効果的に日本やドイツに勝てるかなどの課題を与えて研究させました。これがプロジェクトチームの作り方とオペレェィションズ・リサーチ(実際的問題解決法、O・R)という新しい学問を生むきっかけになりました。

あるチームのメンバーの1人である数学者のバーナード・コープマンは、ランチェスターの法則とゲームの理論の2つを組み合わせ、「コープマンの戦略モデル式」を考え出しました。日本に向けるアメリカの国防予算のうち2/3を戦略攻撃に、1/3を戦術攻撃に回すと最も効果的に勝てるというものでした。この考えを基に開発したのが、B-29の戦略爆撃機でした。

img_20161116_00021951年7月、O・Rのチームが考え出したいろいろな方法の中で実際に戦争で使った一部がアメリカで「Methods Of Operations Research」が出版されました。第2次大戦後、アメリカとソ連は冷戦状態にあり、アメリカは日本を産業復興させて防波堤とするため、技術者や学者を派遣しました。その1人に品質管理で知られる「デミング博士」がいました。

デミング博士は「O・Rを研究すると経営の役に立つ」と言って、この本を日本に3冊送ってくれました。もしデミング博士がいなかったら、日本でランチェスター戦略がこれほど広がることはなかったでしょう。

 

img_20161116_0001日本科学技術連盟(日科技連)はさっそく翻訳に取り掛かり、1955年9月に「オペレェィションズ・リサーチの方法」という題名で出版しました。この本を読んだ人の多くは「アメリカ軍はこのような考え方で日本と戦っていたのか」と、とても驚いたそうです。それとともにランチェスターの法則を経営に応用する人が「同時多発的」に何人も現われ、このとき「第1次」のランチェスター戦略ブームが起きています。

 

 

 

【4.ランチェスター法則の研究者が続々と誕生】ランチェスター法則の研究で1番古い人はO・Rの本の翻訳作業にも関係した、中原勲平(くんぺい)氏です。「強者と弱者」という表現をしたのは中原氏が最初の人のようです。

2番目に古い人は、加藤勝康氏です。加藤氏は1959年(昭和34年)10月に出版された「経営学全集」369頁のところでオペレェィションズ・リサーチの方法を紹介するとともに、ランチェスターの法則を簡単に説明しています。

img_20161117_0001_new3番目に古い人は、奥村正二氏です。奥村氏は特許事務所を経営していた人で、1960年(昭和35年)12月16日、「企業間競争と技術」(東洋経済新報社)という本の中で、ランチェスターの法則を説明しているとともに、「強者の戦略」と「弱者の戦略」について言及しています。

 

 

img_20161117_00024番目に古い人は、林周二氏です。林氏は後に東京大学の教授になっています。1961年(昭和36年)1月15日、「日本企業とマーケティング」を出版し、234頁~247頁にランチェスターの法則について説明しています。「競争条件が有利な会社と、競争条件が不利な会社とでは経営のやり方を変えるべきだ」と結論付けています。

 

 

IMG_20170223_00025番目に古い人は、池田一貞氏です。池田氏は九州工芸大学の教授をしていた人で、1965年(昭和40年)8月1日に出版された「現代マスコミ統計調査書」の中で、ランチェスターの法則について説明しています。

 

 

img_20161117_0005_new6番目に古い人は斧田大公望氏です。斧田氏は1969年(昭和44年)3月6日、日本経済新聞の「経済教室」1頁全体に、1962年夏から1年かけて田岡氏と共同で導き出した26.1%、41.7%、73.9%という「市場占有率の3大数値」を説明するとともに、市場占有率の重要性について説明しています。斧田氏は1980年(昭和55年)1月20日、「競争に勝つ科学」の題名で開発社から出版しています。

 

 

img_20161117_00067番目に古い人は、宮川公男氏です。宮川氏は一橋大学の教授をしていた人で、1969年(昭和44年)9月26日に、「OR入門」という題名で日本経済新聞社から出版しました。19頁から10頁にわたって、ランチェスターの法則がO・Rにどのように応用されていたかを紹介しています。

 

 

 

img_20161117_00078番目に古い人は、田岡信夫氏です。田岡氏は、1971年(昭和46年)11月15日にビジネス社から「競争市場の販売予測」の第7章「占拠率の管理とその戦略」の中で、ランチェスターの法則と、斧田氏と共同で考え出した市場占有率の3大数値を詳しく説明しています。

 

 

 

img_20161117_0008田岡氏は、1972年(昭和47年)12月1日、ビジネス社から「ランチェスター戦略入門」の題名で出版しました。この本は、ランチェスターの法則をもとに「強者の戦略」と「弱者の戦略」について詳しく説明していることと、5冊シリーズで出版されたこともあって大ベストセラーになり、ランチェスター戦略の「第2次」ブームが起きました。1984年11月23日に57歳の若さで亡くなりました。生前、ランチェスター戦略について20冊ぐらい出版され、ランチェスター戦略では「超・独占的な強者」だった人です。

 

img_20161117_00099番目に古い人は、市原樟夫(くすお)氏です。市原氏は高知県中小企業指導所に勤務中、田岡信夫氏の本を読み、市場占有率を知りました。その後、3大数値を応用し、54.6%、30.8%、19.3%、15.1%、10.9%、6.8%、2.8%の中間的な段階的な目標数値を考えました。これを1974年はじめに高知県中小企業指導所の中小企業研究の「特別号」で発表しています。中でも19.3%を弱者の上位シェア、10.9%を影響シェア、6.8%を存在シェア、2.8%を拠点シェアという呼び方をしています。1979年、㈱日本マーケティングセンター(船井総合研究所の前身会社)に転職。1980年7月25日、「大型店対応作戦」をビジネス教育出版社から出版。市原氏の考えた数値がやがて船井理論になっていきます。

img_20161117_001010番目に古い人は、船井幸雄氏です。船井氏は1974年(昭和49年)10月15日にビジネス社から出版した「船井流正攻法」の210頁に、シェア(占有率)原則について田岡信夫氏と斧田大公望氏2人の市場占有率の「3大数値」をそのまま紹介しています。

 

 

 

IMG_20170223_000111番目に古い人は、竹田陽一氏です。1983年(昭和58年)7月30日に、ランチェスター法則の応用から出てきた「必勝の理論」を仕事時間に応用し、「利益時間戦略」という題名で産能大出版部から出版しました。内容は学歴もない、素質もない、お金もない、「3大ない」人が、不利な人生を逆転して何かを成し遂げるには時間戦略しかないというものです。

 

 

img_20161117_0011竹田氏は、1985年12月9日ランチェスター先生の墓参りのため訪英しました。それから1年後の1986年(昭和61年)6月3日、「ランチェスター・弱者必勝の戦略」の題名でビジネス社から出版しました。この本はサンマーク出版の文庫本にもなり、合計8万部売れています。

 

 

 

img_20161117_001912番目に古い人は、矢野新一氏です。矢野氏は田岡信夫氏の会社に勤めてインストラクターをしていた人。1986年(昭和61年)3月5日、「ランチェスター地域No.1戦略」の題名でビジネス社から出版しています。その後、1986年8月まんが・新ランチェスター戦略」シリーズの本を出版したことで、若い世代層にランチェスター戦略が知られるきっかけを作りました。

 

 

img_20161117_0017_new※「ランチェスター戦略の記事を書いた人達」に掲載されていませんが、ランチェスター戦略について書かれた人がいました。その人は、佐藤總夫氏。佐藤氏は、当時早稲田大学の教授で、1984年11月10日に、「自然の数理と社会の数理」の題名で日本評論社から出版しています。第5話「トラファルガルの海戦 ランチェスターの法則」、第10話「硫黄島の激戦 ランチェスターの二次法則の例証」、第11話「フォルクスワーゲンの教訓 ランチェスター経営戦略」を書かれています。

 

【5.超・強者の田岡信夫氏が亡くなる】ランチェスター戦略の超・強者の田岡信夫氏が1984年11月に亡くなられたことで、その後ランチェスター戦略の本を書いたり、講演をする人が一気に増えました。「第3次」ブームが起きました。

【6.師の竹田陽一氏について】竹田氏は、「自分は、素質が低い上に、文章も全くダメ。これまでランチェスター法則にimg_20161117_0014_newimg_20161117_0013ついて何冊もの本がかけたのは、1985年12月にランチェスター氏の墓参りに行き、次の年(1986年)に『英文の原書』と、キングス・フォードが書いたランチェスター氏の『伝記の原書』をさらにランチェスター氏の一番下の弟のジョージが兄について書いた『伝記の本』を手に入れることができたからだと思っています」と言っています。

ランチェスター戦略がこれだけ広く知られるようになりました。多くの人が記事を書いたり講演をしていながら、ランチェスター法則の原書とランチェスター氏の伝記の本を確かめた人は、竹田陽一氏以外いませんでした。

「今後もランチェスター法則を応用して本を出版する人が何人も出てくると思います。
『最も大事なところ』は原書で確かめる。
『基本となる大事な考え方や文章』を転載するときは出所をあきらかにすべき。
『10行以上を掲載』するときは本人の許可を得るべき」と竹田氏は言っています。

img_20161117_0020「ランチェスター法則100周年」記念セミナー

2013年(平成25年)10月29日東京会場。

2015年img_20161117_0015_new(平成27年)8月19日、竹田陽一氏は、7度目のランチェスター氏の墓参りに行き、英文「ランチェスター戦略」本を墓前に披露しました。(㈱五十嵐コンサルティングオフィス、五十嵐勉同行

ランチェスター戦略の聖地。コベントリー大学(旧ランチェスター科学技術大学)ランチェスターライブラリーを訪問。イギリス。2015年8月20日(木)案内役クリス・クラーク氏(ランチェスターカーの愛好家)

【ランチェスター戦略・竹田陽一氏との出会い】


2003年2月小さな会社儲けのルール」、同年7月小さな会社社長のルール」を読んでからランチェスター戦略を本格的に研究。2008年までにランチェスター経営DVD・CD教材フルセットを購入。2008年7月戦略社長塾・東京」小岩校を開講。ランチェスター経営正規代理店。

2015年8月イギリス訪問、ランチェスター氏の墓参り。気持ちを新に東京の下町地域でランチェスター戦略を深く広めていくことを決意

 

2015年1月~12月 ランチェスター経営㈱正規代理店 東京NO.1代理店を獲得。
2016年1月~12月 ランチェスター経営㈱正規代理店 東京NO.1代理店を獲得。
2年連続 東京NO.1代理店!

 

img_20161117_00162010年5月五十嵐勉は、「会社は潰れるようにできている~小さな会社はランチェスター法則で勝ち抜きなさい~」を中経出版から出版しました。当時、今まで600社ほどの中小企業を見てきました。(現在は1,000社以上見てきた)そこで気づいたことは、会社は潰れるようできているということです。何も手を打たないと、潰れる方向へ進んでいきます。ランチェスター戦略(特に弱者の戦略)を知らないと大きな損害を受け、学び習得するとこれ以上にない武器になります。

 

 

【なぜ今、ランチェスター戦略なのか?】今高度経済成長期やバブル期のように市場が年々拡大するときは、ランチェスター戦略はさほど重要ではありませんでした。明確な経営戦略を持たなくても1位、2位のマネをしても生きていけました。

今後の日本は高齢化、少子化による人口減少と高齢化による多くの分野で市場が縮小していきます。こうした逆風下で2位以下の企業(多くの中小・零細企業)が1位の企業と同じような経営をしていたら、ほとんど利益が出てきません。安定した利益を確保するためには、小さい市場で1位を奪取するしかありません。そのためにランチェスター戦略はとても有効です。

これからもランチェスター戦略の歴史を絶やさず、広め、継承していきます。

 

※「ランチェスター戦略ライブラリー」 閲覧ができます。

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