「町工場、残業ゼロ、収入600万円以上」
(ポプラ社)を書かれた吉原精工の吉原博会長の話を聴いた。
吉原精工は、従業員7名のワイヤーカット加工業者。
1980年創業、1988年のバブル時には従業員数は20名まで拡大。
1990年バブルのピーク、3K(危険、汚い、キツイ)ということもあり、
人が採れなかった。
若者を採用するにはどうしたらいいかと考えた。
ここから「脱・ブラック」を目指すようになった。
従業員を2つに分け、
週に2日ずつ「22時まで残業」「19時まで残業」「定時で退勤」の日を決めた。
その後仕事が増え、
「夜間専門」を作り、3グループになり、
工場はほぼ24時間稼動できるようになった。
グループ制を導入後、
各従業員の残業時間はほぼ一定であることに気づいた。
思い切って、あらかじめ残業代を含めた固定給(年棒制)に切り替えた。
従業員からはもらえる給料は同じなので不満は出なかった。
同時に週休二日制も導入。
1992年バブルが崩壊し、
経営危機に。リストラをしながら、
22時までの残業は20時に短縮した(第一段階)。
2002年ITバブル崩壊で2回目の経営危機に。
20時までの残業を19時に短縮(第二段階)。
2009年リーマンショックで3回目の経営危機に。
従業員は7名まで減った。給料は一律30万円。
19時までの残業をゼロ(第三段階)。
2011年ボーナス100万円支給
(年間支給額600万円以上)まで回復。
残業をゼロにしたことで、
従業員たちは、時間内に仕事を終わらせるべく、
ムダの排除やミスが減少、
生産性を高める知恵も生まれた。
1人の匠や職人を作らず、
全従業員をプロにするべく、
技術の共有化を図った。
吉原会長の頭の中は99%営業のこと。
顧客を増やし、仕事を増やすことで従業員の給料は賄える。
営業方法は、
1.DM。2.はがき。3.展示会。4.ホームページ(SEO対策・年間20社~30社新規顧客)。
ポイントは、
残業分を給料に含めたことで従業員に安心感を与えた。
時短の工夫をした。
従業員にとって、残業代は生活費。
気持ちよく働いてもらう。