「ルーツを探して」
6年ほど前に行政書士に私の父方を調査してもらいました。
すると曾祖父(1856年生)江戸時代から明治時代にかけて
現在の山形県鶴岡市に住んでいたことがわかりました。
祖父(1882年生)は大正時代に上京、結婚し、
父(1922年生)が生まれました。
私が生まれたときには祖父は他界していたので、
父より先はまったく知りませんでした。
昨年末に時間ができたので、
ぶらりと1泊2日で山形県鶴岡市に行ってきました。
初日は市役所の戸籍係と都市計画課を訪問。
旧地名と現在の地名の照合です。
詳細な地番まではわからなかったが、
およその地域は判明しました。
詳しく知るには「郷土資料館」にあるとのこと。
2日目、早速「郷土資料館」を訪問。
曾祖父が住んでいた場所が特定できました。
鶴岡城の城下町で昔は荒町と呼ばれ、商人の街。
さらに郷土資料館の職員から五十嵐家の系図の写しが出てきました。
これには驚きました。
初代から十代目までが記されています。
初代・五十嵐與五左衛門(寛永元年1624年没)~
八代・五十嵐茂兵衛(天保3年1832年没)。
七代・五十嵐仲治(1740~1821)は鶴岡市人名事典に掲載。
僧侶、代々鶴岡荒町で米商をいとなみ屋号を八木屋という。
寛政4年(1792年)53歳のとき営業不振に陥り、
家を長男茂兵衛に譲って、出家。
系図提供者の十五代・五十嵐氏(85歳)にお会いすることができました。
店は高齢と後継者がいないということで平成10年(1998年)ごろ廃業したとのこと。
(何代目か不明、米屋から瀬戸物屋に衣替え)。
十四代が他の事業に手を出して失敗して
多額な借金を背負った話を聴かせていただきました。
山形県鶴岡市への訪問は、
期待以上の情報を得ることができました
(お墓も確認できました)。
小さなお店ながら400年前後継続していたことに驚きを隠せません。
私は、コンサルティング歴21年間、
「潰れない会社作り」を企業経営者に支援してきました。
何か運命を感じてしまいました。
これからもランチェスター戦略に則り、
小さな企業が生き残るために
「小規模1位主義」「部分1位主義」を広めていきます。